人気ブログランキング | 話題のタグを見る


フットボールと音と映像がスイングする世界をうごめく所


by pivote-21

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

全体
football
Música
place
manga
human
expression
book
movie
fashion
video game
animation
feeling
未分類

以前の記事

2013年 12月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月

link

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

みあげてごらん

ビートジェネレーションというのがいました。

彼らの生き方は後の人々にもちろん自分にも影響を与えてくれた。

アーティスティックな原点はここにあると僕は信じたいです。

ビート・ジェネレーションというのは簡単にいうとヒッピーな人々に多大なる影響を与えたアーティストたちのことを指します。1940・1950年代の普通の社会と一線を引いた(つまりアウトローな)作家、詩人たちです。1948年前後に「ニューヨークのアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者たち」を総称する言葉としてビートジェネレーションは生まれた。しかし具体的な発生時期というのは不明で、彼らの自我の目覚めのような活動がこの時期くらいだったと考えられる。そして実利主義のような、現実的で保守的で誰かがつくった社会の道徳がすべてだと考えれる世界から離れて、失われた人間の生活原理すなわち人間性の原点の発見にむかったところの“孤立した人間の孤立した勇気”(諏訪優)にありました。彼らは精神的にも物質的にも原点にかえって再出発しなければならないと考え、そのために自然にかえり自然といったいになることが必要であり、原始的な活力への憧れが彼らの心に生じたと考えられます。とにかく彼らは社会的制約からはなれ、文明社会からの脱出をはかった。脱出というのが先でもいったような当時のアメリカの情勢の不安定さからの脱出。そしてすべての物事がみえない力によって画一的に追いやられる状況からの人間としての再出発、それがビートのアクションにつながってきた。人間の本質をつきとめるべく、さらには自らがもっている情熱の矛先を探求するために当時の状況下の中からの脱却は勇敢な行動であった。そのビートの活動拠点は基本的にはロスアンゼルス、サンフランシスコ。しかしビートの放浪はさまざまで、まずサンフランシスコ、ニューヨーク、メキシコ・シティ、をつなぐ巨大な三角形の途上にこそあります。基盤はそこにあり、禅を求め日本へ、仏陀を求めインドへ、麻薬を求め南米へと旅にでるアーティストもいました。ビートの詩人のゲイリー・スナイダーという人は特に禅に深く触れ、京都に滞在し、相国寺や大徳寺で臨在禅(悟りを重んじる禅)を学んだ。ビートが禅や仏陀といったアメリカ文化とはまったく異なった場所を求めるのは興味深いことで、しかしながら彼らのもともとの意思やベクトルの先を見れば理解できる行動です。またビートは原始的感情を重んじ、自我を取り戻そうとするのですが、禅や麻薬そしてJAZZに結びつき、自発的な貧困の中に身をおきながら(ビートな人々は原始的な生活を求める上であえて自ら貧しい状況に追いやったともいわれる)、文学形式の中ではもっとも素朴な詩に、その声を求めたということも意味深いことであった。彼らが描く、詩や文章は表現力というのを重視しスラングや世間話のような話しやすいリズム感が表れている。彼らのライフスタイルは基本的にあまりお金がないこと、貧乏で貧困な生活を送っていたという。しかしそれは機械で管理される社会からの分離を望んだ結果、むしろ彼らの望んだ道、すなわち放浪につながるのである。セレブではない、貧困な生活様式こそ「social lie」への一つの答えである。生きていく上での最低限の生活費をパートタイムなどで稼いでそれで生きていけたら良い、あとは自分たちのやりたいようにやるといった思考が伺える。ビートジェネレーションと呼ばれるような連中はほぼ例外なくこういった生活をし、ほぼ例外なしに詩、小説、劇、音楽、絵画などのいずれかの創作活動を行っていた。彼らの存在というのはゲイリースナイダーがいうには「一国の人口のかなりの数をしめながら、目立たない存在である百姓のよう」とみるようにアメリカ各地に散在したのである。スナイダーが百姓と表現したように自給自足である程度の収入で生活する当時の彼らのライフスタイルはさながら60年代に入ってからのヒッピーの思想に良く似ている、そうヒッピーの原点はここにあるのだと思わせてくれるような表現です。彼らは個人的に文学のリトル・マガジンに詩や文章を寄稿していた、そういうことを何年か続けているうちにこのような地下の文学活動の中に互いに共鳴し得る作品があり、同じような意識、思想をもった人間が自然と集ってきたんじゃないかと思われる。彼らビートの共通な思いというのが、「形式ばったハイブローな文化的拒絶」「コミュニケーションとしての、人間の意志伝達の最善の方法として詩を信じていたこと」「彼らのいずれかも、国家、戦争、商業文明の厳しい不信者で、そうしたものから自立的な離脱を果たしてきた人」(諏訪優)というものが考えられる。ビートが良く利用する場所(例えばコーヒーショップ)の壁に“ART IS LOVE IS GOD”(芸術は愛なり神なり)という言葉がスローガンとして掲げられていた、創造行為だけが世界の瓦解に対するただひとつの防衛手段だ(ケネス・レックスロス)というとき、まさにART IS LOVE IS GODであり、ビート・ジェネレーションにまつわるすべてがこの言葉に発してると考えられ、このような態度・意識を持った人々が、詩をたずさえてムーブメントを果たした。強権に対抗する精神をもった断固たる決意が感じられる。彼らの考えとしてもう一つ、日々勉強、探求、という考え方、まだまだ人間として勉強をしなければならないという考えに基づき彼らは各地に旅に飛び散った、“孤立した人間の自我の発見”、“人間の人間たる本然の姿を求めて”。ビートは詩や文章以外ではあまり発言をしていない、発言よりもむしろ行為に秘められている暗黙の発言、そういう行動が重要なのである。それが彼ら詩とともに、現代の虚偽と不安に満ちた唯物的なアメリカ文明に対するもっとも人間的な行動、人間の尊厳と人間が作り出す芸術作品に至上の価値をおいたところに芸術は愛なり神なりというモットーが存在した。探求という部分で、人間の奥底にある裸の精神が見える世界、それは一種の可能性や快楽、JAZZのビート、セックス、禅、マリファナ、タバコ、麻薬、それらを使ったり楽しんだりすることでその奥底に見える隠れた人間の一部分が垣間見える、それを追いかけたり表現したりするための探求(DIG)であったと考えられる。彼らビートはそれぞれ個性のある人間の集りだ、それぞれ考え方はさまざまでAもいればBもいるしCもいる。その中で互いの個性が互いを成長させていく、それぞれの意思や精神というのは分かりにくく表現が難しい、記述なんかもできないようなものだが、それぞれの奥底にある意思のベクトルの先は同じところに向いている。それは例えば、詩だったり文章だったり音楽だったり絵画だったり表現方法は違えども、向かっている先の点というのは同じ場所で、だから共鳴し合えるし、一緒にいられるし、集れる。つまり類友、同じような人間は自然と集ってくる。その中でどう生きるかというのが重要になってくるんじゃないか、彼らビートがとった行動、態度というのが人間性の回復に即してとった勇敢な態度であり、それが後の若い世代に受け継がれてムーヴメントが起きていったと考えられる。それがヒッピーであり、ロックと呼ばれる音楽であり、絵画であり、1969年のウッドストックロックフェスティバルであり、原点はこういったビートのライフスタイル、行動、態度、精神だと信じている。

ジャック・ケルアックがこういうふうに文章としてのこしている、

「不意に僕は、タイムス・スクウェアにいる自分を見出した。アメリカ大陸を約8000マイル旅して、再びタイムス・スクウェアに戻ってきたのだ。しかもラッシュ・アワーの真っ只中に。僕の道路しか見ていなかった無垢な眼に映るのは、ニューヨークの徹底した狂態と怪奇な荘厳の叫び声だ。何百万という人間が、わずかの金を求めてたえず押し合い、つかみとったり、もらったり、与えたり、ため息をついたり、狂気じみた夢を追い、そして死んでいく。死ねばロング・アイランドの向こうの、あの荘厳な共同墓地の町に埋葬されるのだ。ここはこの国の高い塔の都市―この国の一方のはし―薄っぺらなアメリカの生まれるところだ。」

と異常なこの時代の社会の象徴である大都市、それを心臓部として動いてる薄っぺらなアメリカについて、ジャック・ケルアックは「路上 on the road」のなかで表現した。あらゆる習慣のきずなを断ってきままに行動する若者たちの姿を描いた作品だった。

みあげてごらん_c0178114_16313978.jpg

by pivote-21 | 2009-02-20 16:31 | book